ボンディはパリからわずか10キロしか離れていない。だが、そこでの距離は別のもので測られる。路上での薬物の過剰摂取、絶え間ない暴力、ホームレスの隣人たち。キリアン・エムバペが育ったのはそんな場所であり、そこで彼は、どんな子どもも決して目にすべきではないものを見た。


彼の父は難民としてフランスにたどり着いた。1990年、彼はAS Bondyで妻と出会った。その地域クラブは、やがて一家全員にとっての避難場所となった。
郊外のほかの少年たちがその環境に閉じ込められている一方で、キリアンは抜け出す道を見つけた。最初は教師セリーヌ・ボニーニの指導のもとでフルート、そしてその後は、父がプレーし、のちにコーチとして教えたのと同じスポーツであるサッカーだった。


今日、エムバペはそれを飾らずに振り返る。「子どもが路上で死者を目にしなければならないなんてあってはならない」。
彼は自分を被害者として描くためにそう言うのではない。ボールが彼をそこから救い出してくれたからであり、自分がどこから来たのか、そしてあの地域が今なお何に苦しんでいるのかを決して忘れたくなかったからだ。
